真鶴半島のよく晴れた一日。
空気が澄んだ真鶴駅を背にしてしばらく歩くうちに、石畳の階段にたどり着く。
潮風の香りを楽しみながら摩耗した石段を下りていくと、松の枝越しに真っ青な海が覗き、美しい景色にしばし見惚れる。
それも束の間、あっという間にもう港だ。
磯の香りが心地好い。
風合いの良い漁船が並び、人々が魚釣りに興じている。観光客がゆったりとそぞろ歩くのどかな雰囲気に、じわりじわりと心が解放されていく――。
少し先には魚座と呼ばれる魚介市場があり、海鮮割烹が立ち並んでいるらしい。
そろそろお昼だ。
楽しみにしていた海鮮料理を狙って魚座に急ぐ途中、ひらめく旗に興味を惹かれた。
しとどの窟(いわや)と呼ばれる洞窟である。
1180年、源頼朝は源氏再興の挙兵をしたものの、石橋山の戦に敗れてしまう。そのとき隠れて難を逃れたのがこの場所なのだという。
柵越しに洞窟の中を覗くことができた。覗いてみると、意外に狭い。
土肥実平と遠平の父子、岡崎義実、それに安達盛長ら七名の武将も一緒に逃げ込んだらしいのだが、よくもまあそんな人数でここに隠れたものである。そう思うほどの広さだった。
――それもそのはずだ。
後で調べてみると、崖崩れがあり、洞窟の大部分は埋まってしまったらしい。
往時は高さ2メートル、奥行き10メートルほどもある洞窟だったというから納得である。
しとどの窟という名前の由来が面白い。
頼朝たちが隠れていないかと敵方の大場景親の兵が確かめようとしたところ、「しとど」と呼ばれる鳥が洞窟の中から飛び出し、「これは誰もいぬわ」となったという。頼朝らは難を逃れたわけだ。
このとき洞窟を偵察した敵方の兵は、なんと後に鎌倉幕府の重鎮となる梶原景時だったというから歴史は面白い。
もっとも景時が頼朝たちを見逃したのが真相だという説もあるらしいのだが……。
とこでもう一つ面白い話がある。
お隣の街、湯河原にも「しとどの窟」があり、同じ伝説を伝えているというのだ。しかも昭和の初期にその正当性を巡って論争があったとか……。
ますます面白くなってくる。偶然そんな場所に出会い、嬉しくなってしまった。
ところで「しとど」というのはどんな鳥なのだろうか?
どうやらホオジロのことらしい。
頼朝たち一行が洞窟に入ったとき、逃げ出さなかったのだろうか? やはり梶原景時がわざと見逃した、というのが真相なのかもしれない。
――ほどよくお腹が空いたところで、魚座の前の海鮮割烹の店に入った。
気さくな女将さんに注文を伝え、しばらく待っていると、盛り沢山の魚介が桶に入って出てきた。
一口食べてみる。
美味い!
驚くほどの新鮮さだ。
自然の甘さが口の中に広がり、すっかり堪能した。
しとどの窟の伝説の正当性が真鶴にあるのか湯河原にあるのかはわからない。だが魚介なら真鶴という説は間違っていないようである。
食事をした後、真鶴半島をぶらぶら歩いてみた。
見晴らしの良い景色、歴史を感じさせる神社、美術館などが点在し、飽きることがない。
てくてく歩いているうちに、ハイキングコースの入口に行き当たった。
入ってみると、オゾンいっぱいの静寂の世界に包み込まれた。潮の香りが鼻腔をくすぐり、山にいるのか海にいるのかわからなくなってくる。
そんな不思議な感覚を楽しみながら、緩やかに起伏する小道をゆっくり歩く。
穏やかな木漏れ日に包み込まれ、心がとろけるかのようだ。
少し小高い場所にでると眺望が開け、木々の間から太平洋が眼前に広がった。心の中のもやもやが一挙に晴れ渡り、いやぁー、実に気分爽快だ。
ハイキングコースは真鶴半島の最先端まで続いていた。
三ツ石と呼ばれる景勝地である。
海沿いに遊歩道が設えられ、風光明媚な景色を楽しむことができる。岩場から海に降りることもでき、小さな子供がいる家族連れが磯遊びに興じていた。
左の写真は、三ツ石から階段で崖を登ったところ。ケーブ真鶴というレストラン前の広場だ。
高い木立に護られた見晴らしの良い場所で、右手に伊豆半島、左手に三浦・房総の両半島を望み、正面の相模湾沖には伊豆七島が浮かぶダイナミックな眺望を楽しむことができる。
そろそろ帰りの時間が近づいてきた。
ケーブ真鶴前の広場はムード満点の広々とした道に続き、その入口には雰囲気のよいバス停がある。ほどなくバスが到着し、歩き疲れた体を真鶴駅まで快適に運んでくれた。