平等な公園                     井の頭公園


 井の頭恩寵公園、通称井の頭公園の池。

 所在地は吉祥寺……と思いきや、それは最寄駅のこと。中央線と井の頭線の吉祥寺駅だ。井の頭線の井の頭駅も近い。

 所在地の方は、武蔵野市と三鷹市のいくつかの行政区画にまたがっている。武蔵野市の御殿山一丁目、吉祥寺南町一丁目、三鷹市の井の頭三丁目、四丁目、五丁目、下連雀一丁目、牟礼四丁目だ。

 

 そう、この公園は実に広大なのだ。

 井の頭池があるお馴染みの場所の他に、ちょっと思い出しただけでも遊園地、動物園、水生物園、美術館に彫刻館、競技場やテニスコートなどの多種多様な施設を擁している。大人気の三鷹の森ジブリ美術館も井の頭公園の中にあるし、まるで憩いと遊びのデパートのような様相を呈している。

 実際に井の頭公園に行ってみればいい。その広さと多様さを実感することだろう。

 

 この公園を訪れるといつも頭に浮かぶのは「平等」という言葉である。

 家族連れ、カップル、おひとり様――。みんな思い思いのスタイルで思い思いの平和な一日を楽しんでいる。どんな格好をしていようと何をしていようと、それを気にする人はいない。

 青空の下でギターを弾き語る若者(昔若者だった人も含めて)がいるのは郊外(?)の公園ならではの光景なのだろうが、ここではそればかりではない。尺八の幽玄な音色や三味線の粋な音階が聴こえてきたり、まるで天上から降り注ぐかのような異国情緒たっぷりのシタールの響きや哀感漂う二胡の切ないメロディーが流れてくることも珍しくないのだ。

 それを誰も不思議がらず、当たり前のこととして受け入れているばかりか、その隣でヒップホップを踊る若者たち、「あえいうえおあお、かけきくけこかこ」などと発声練習をしている劇団員風の一団、ヨガや太極拳に興ずる人々などがいたりするから面白い。あらゆるものが交じり合いながら見事に調和し、一種独特の世界を形成している。

 

 その中で一つだけ共通していること――それはこの公園に集まる人々が皆、寛容さを持ち合わせているということである。

 ――誰がどんな格好で何をしていても問題ないさ。今日という日に同じ場所に集った仲間じゃないか。みんな一緒に仲良くすごそう――。

 そう言ってくれるような懐の深さを感じさせるのだ。

 きっとこの土地のエネルギーが人々をそうさせているに違いない。

 だからなのだろう、この公園に来るたびに「平等」という言葉が頭に浮かぶ。

 

 ところが――面白いのはこの公園の周辺が高級住宅地だということだ。

 特に吉祥寺南町と井の頭――前者は明るい洋風テイストで後者は陰影ある和風テイストという違いがあるにせよ、どちらも建ち並ぶお屋敷の立派さに圧倒されてしまう。庶民には縁遠いところで、そう思うとまるで「平等」ではない。

 そう。「平等」な雰囲気に惹かれて人々が住みたがるから一握りの人しか住めない「不平等」さが生まれ、すると「不平等」は厭だと言って公園に「平等」な雰囲気が熟成される。「平等」と「不平等」とが持ちつ持たれつの絶妙なバランスを保っているような按配なのである。

 きっとそれが原因なのだろう。井の頭公園の周辺地域は高級住宅街ではあっても、その種の場所に漂いがちな排他性や冷ややかさといった息苦しさが感じられない。

 

 久しぶりに井の頭公園に行ってみたくなった。駅から「不平等」な住宅街を通って「平等」な公園にたどり着けば、きっと素敵な一日が待っていることだろう。