第2話 中空ゴルフクラブヘッド事件のあらまし -背景と経緯-

(1)背景
 中空ゴルフクラブヘッド事件は、ゴルファー諸氏諸姉にはPRGR(プロギヤ)でお馴染みの横浜ゴムが原告となり、スポーツ用品メーカーのヨネックスに対して損害賠償金など2億円超の支払いを請求した事件である。
 タイヤメーカーの横浜ゴムがPRGRのブランド名でゴルフ事業に進出したのは、プロゴルファーの青木功が米PGAツアーで日本人初の優勝という快挙を成し遂げた1983年のことだ。今から遡ること30余年、東京ディズニーランドが開園し、コムデギャルソンに身を包んだ若者達が街を闊歩していた頃のことで、バブル経済の予兆こそなかったものの、まだまだ皆が上を向いて歩いていたような時代だった。
 PRGRはその当時から斬新な製品をリリースするメーカーであるとの印象が強い。
 実際のところ、商品としてのコンポジット・ドライバーの源流を辿ると、どうやらその元祖は平成15年(2003年)に発売されたPRGRのDUOという製品らしい。このこと一つとってみても、横浜ゴムの先進性が伺える。
 一方のヨネックスは、バトミントンやテニスのラケットで有名なスポーツ用品メーカーで、ゴルフ用品にまで触手を延ばし始めたのは、横浜ゴムに先立つこと一年前の1982年のことである。
 個人的な感想ではあるが、ヨネックスにはオーソドックスなクラブ作りという印象はないものの、さりとてPRGRのような先進性も感じられない。あえて言うならば、アベレージゴルファーにもフレンドリーな気さくな友人という印象だ。もちろん褒め言葉である。

 

(2)経緯
 中空ゴルフクラブヘッド事件の基礎となる特許は、平成14年(2002年)1月11日に特許出願(特願2002-4675号)された特許第3725481号である(以下、「PRGR特許」と呼ぶ)。
 この特許では審査段階で一度、そして拒絶査定不服審判に際してもう一度、特許請求の範囲が補正されている。早期審査の請求もされているし、特許庁に係属中には二度にわたり情報提供もされていることから、出願当初から紛争の火種を抱えた特許であったのかもしれない。
 そんなPRGR特許が一躍有名になったのは、その特許権侵害訴訟事件、いわゆる中空ゴルフクラブヘッド事件で均等論適用の可否が争われたからである。
 この事件では平成20年12月9日に原告敗訴の地裁判決(東京地方裁判所平成19年(ワ)第28614号)がでるや高裁に控訴され、約一年半後の平成22年5月27日に高裁判決(平成21年(ネ)第10006号)の言い渡しが行われている。第一審で均等侵害の成立が否定されて敗訴した横浜ゴムは、均等侵害の成立を認めた高裁判決で逆転勝訴を勝ち取っている。

 高裁にまで事件が発展した発端は、出願段階で横浜ゴムがヨネックスに送った一通の警告状である。
 特願2002-4675号、つまりPRGR特許の基礎となる特許出願が平成15年7月22日に出願公開されると(特開2003-205055号)、横浜ゴムはヨネックスに警告状を送っている。そして特許が成立した平成17年9月30日から二年後、横浜ゴムはヨネックスの七品目の製品を対象として、損害賠償請求訴訟を起こしたのだ。
 その間、いかなる交渉が行われたのだろうか?
 部外者には知る由もないのだが、特許が成立してもうすぐ一年になろうとする平成18年7月18日、ヨネックスは特許庁に判定を請求し、自社製品がPRGR特許の技術的範囲に属するか否かを問うている。技術的範囲に属するという結果が出てしまえば元も子もなくなるので、ヨネックスとしては非侵害によほどの自信を持っていたに違いない。
 案の定、判定請求から十ヵ月後の平成19年5月10日、特許庁は、ヨネックスにとって有利な判定結果を示した。ヨネックスの製品群はPRGR特許の技術的範囲に属さない、との判断である。
 それから四ヶ月ほど経過した平成19年(2007年)の11月、遂に交渉は決裂し、横浜ゴムはヨネックスを提訴したのである。

 商品としてはPRGRのDUOが起源だとしても、コンポジット・ドライバーに関するアイデアの歴史は古い。
 例えばDUOに先立つこと11年前、ブリヂストンが平成4年(1992年)5月27日に出願した特開平5-317465号公報(以下、「ブリヂストン公報」と呼ぶ)には、ヘッド上面のクラウン部にメタル材料を配置しないクラブヘッドが開示されている。この出願は後に特許としても成立している(特許第2773009号)。
 図2は、ブリヂストン公報中の図1で、符号1はクラウン部、符号2は孔を示している。
 ところでブリヂストン公報の特許請求の範囲は、「ヘッド上面のクラウン部にメタル材料を配置しない」と定義しているのだが、だとすると何を配置するというのだろうか?
 この点、ブリヂストン公報は、「クラウン部に設けた孔はそのままでもよいし、透明な軽量樹脂等のプレートを取付けてふさいでもよい」と述べている。メタル素材を配置しないクラウン部に軽量樹脂等のプレートを取り付けるのであれば、それはコンポジット・ドライバーそのものといっても差し支えないだろう。

 

 それでも横浜ゴムがコンポジット・ドライバーを商品化した功績は大きい。この種の商品はその後急速に普及し、各社から様々な製品が展開されるに至ったからだ。球を打ったときの打球音がよくないという理由からいっときは下火になったものの、その問題も徐々に克服され、最近はリバイバルの兆しを見せ始めている。
 そう考えると、中空ゴルフクラブヘッド事件は、起こるべくして起こった事件なのかもしれない。