平成15年改正で無効審判制度に包摂させられ、同制度に吸収統合された特許異議申立制度であったが、平成26年改正で復活することになった。
今回復活がなり、創設されることになった特許異議申立制度について、第1話から第8話に分けて解説していく。
わが国における特許異議申立制度の歴史は古く、最初の導入は大正10年法にまで遡る。導入当初から、審査の公正を期し、特許後における紛争を事前に減少させるという役割が期待されていた(「工業所有権制度百年史 上巻」第423頁、特許庁編集、昭和59年、社団法人発明協会発行)。
特許異議申立制度は昭和34年法にも引き継がれ、いわゆる公衆審査制度としてわが国特許制度に根を下ろし、審査の質の向上に貢献してきた。
1.平成15年改正法 -無効審判制度への吸収統合-
ところが平成6年改正で付与後異議制度に移行する際、無効審判制度と統合すべきとの議論が噴出し、その後平成15年改正では、遂に無効審判制度に包摂させる形で吸収統合したのである。
特許異議申立制度を無効審判制度に包摂させるに至った背景として、特許庁の制度改正審議室は、
(イ)申立人は異議申立ての審理に積極的に関与できないことに不満がある
(ロ)追加的な主張立証が不可能であるため、証拠収集の点で審理の充実を図れない
(ハ)行政処分の見直しという面よりも、紛争解決の目的で利用されているのが現状
(ニ)異議申立ての結果に不満があると無効審判が請求され、紛争の解決が長期化する
(ホ)両者が同時に係属した場合、訂正請求によって審理に困難性が生ずる
(ヘ)一つの特許に対して二以上の同じ異議申立てが重複してなされることがある
を挙げている(「平成15年 特許法等の一部改正 産業財産法の解説」特許庁総務部総務課制度改正審議室編集、平成15年、社団法人発明協会発行)。
2.平成26年改正法 -特許異議申立制度の復活-
こうして無効審判制度に吸収統合された従前の特許異議申立制度(以下、「旧・特許異議申立制度」と呼ぶ)であったが、統合から僅か十年後の平成26年、再び復活の日の目を見ることになった。
何故だろうか?
この点について、特許庁主催の説明会に際して配布された平成26年特許法等改正説明会テキスト(以下、「説明会テキスト」と略称する)には、1996~2013年までの間にわたって、旧・特許異議申立制度と無効審判制度とのそれぞれの利用件数を示すグラフが掲載されている(説明会テキスト第4頁下欄参照)。それによると、両制度が統合された直後こそ無効審判の請求件数が若干上昇したものの(2004~2005年において350件前後)、その後は両制度統合以前よりもむしろ低迷していることがわかる。
これに対して、付与後異議になってからの特許異議の申立て件数は3150~6130件の間で推移し(1997~2003年)、無効審判の請求件数とは比較にならないほど高い数字を保っている。
しかも2003年に結論が出された3055件のうち、特許がそのまま維持された件数は671件(22%)に過ぎず、残りの2000件以上の特許は訂正が認められたうえで維持されたか(39%の1186件)、あるいは取り消された(37%の1136件)との統計も出ている(「強く安定した権利の早期設定及びユーザーの利便性向上に向けて」平成25年9月 産業構造審議会知的財産分科会)。
こうして見ると、無効審判制度は、旧・特許異議申立制度が果たしていた審査の見直し機能を果たしておらず、このため瑕疵ある特許の存在を大量に許しているのが現状であると推定されるのである。
先に挙げた産業構造審議会の報告書(「強く安定した権利の早期設定及びユーザーの利便性向上に向けて」)では、この問題を「無効審判による特許付与の見直し機能の包摂の限界と特許の質への懸念」と題して説明している。
無効審判制度への吸収統合から僅か十年後に、特許異議申立制度を復活させることになったのは、一言で言うなら、無効審判制度だけでは公衆審査制度の役割を担いきれないことがわかったから、ということであろうと思料される。
先の報告書(「強く安定した権利の早期設定及びユーザーの利便性向上に向けて」)は、
と現状の問題を分析し、特許異議申立制度を復活させるべき別の背景も紹介している。
加えて、特許異議申立制度の復活には、国際的な足並みを揃えるという舞台裏の事情も作用しているように思われる。欧州特許条約(EPC)は昔から付与後異議申立て制度を採用しているし、米国でも2012年9月16日に、付与後異議申立て制度(Post Grant Review)が施行されるに至ったからある。
こうして平成26年改正法によって特許異議申立制度は復活し、その施行日である平成27年4月1日以降に特許掲載公報が発行される特許に対して、特許異議の申立てができることになった。