平成27年3月13日(金)、「特許法等の一部を改正する法律案」が閣議決定され、第189回通常国会に提出された(第189回 閣法44号)。
この法案は平成27年6月2日(火)に衆議院で可決され、同年7月3日(金)に参議院で可決されて成立している。参議院HP「議案情報」189回国会(常会)閣法44号を参照されたい。
そして成立から半年後の平成28年1月22日(金)、施行期日を定める政令が公布され、平成28年4月1日(金)に施行されることになった。
※施行経緯をお知りになりたい方はこちら
今回成立した「特許法等の一部を改正する法律案」には、その理由の項目に、
「知的財産の適切な保護及び活用によりわが国のイノベーションを促進するため、発明の奨励に向けた職務発明制度の見直し及び特許料等の改定を行うほか、特許法条約及び商標の保護に関するシンガポール条約の実施のための規定の整備を行う必要がある。これが、この法律を提出する理由である」
と、改正の趣旨が記されている。
この趣旨に則り、概ね、
(1)職務発明制度の見直し
(2)特許料等の改定
(3)特許法条約及び商標の保護に関するシンガポール条約の実施のための規定の整備
について改正が行なわれている。
なお特許法条約及び商標の保護に関するシンガポール条約については、それらの「承認を求めるの件」が第189回通常国会に提出され、平成27年5月21日(木)に衆議院で、同年6月17日(水)に参議院で承認されたことから(衆議院HP「議案情報」189回国会(常会)条約5号及び6号)、締結に向けて動き始めることになる。
大別して三つの項目が見直された。
(a)特許を受ける権利の原始帰属
一つ目は、職務発明についての特許を受ける権利の原始帰属を見直し、いままでの従業者帰属から使用者帰属に変更した。
つまり特許法第35条第3項が新設され、職務発明についてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めた場合には、特許を受ける権利はその発生の時から使用者等に帰属する旨が規定されたのである。
ところで法律を改正し、職務発明についての特許を受ける権利を使用者側に原始帰属させることにしたのは、いかなる理由からなのであろうか。この点については、次項「3.職務発明の見直しについて」で述べる。
(b)従業者等が有する権利
二つ目は、従業者等が有する権利の見直しである。
現在の職務発明規定では、職務発明について予約承継等をした場合、従業者等は「相当の対価の支払いを受ける権利」を有するものとされている(特許法第35条第3項)。
これに対して改正法では、「相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利」に変更している(改正特許法第35条第4項)。
相当の対価と相当の金銭その他の経済上の利益――。
改正法の方が範囲が広い印象を受ける。この点についても、次項「3.職務発明の見直しについて」で述べる。
(c)指針(ガイドライン)の公表
三つ目の見直しは、改正特許法第35条第4項にいう相当の金銭その他の経済上の利益(「相当の利益」)の内容を適正に定めるための指針の公示である。
改正特許法第35条第6項は、経済産業大臣に、相当の利益の内容を決定するための手続に関する指針を定めて公表する義務を課している。この場合、経済産業大臣は、発明奨励の観点から、産業構造審議会の意見を聴いて指針を定めることが要請されている。
産業構造審議会は、平成26年3月からほぼ一年間にわたり、職務発明制度のあり方について議論を重ねてきた(知的財産分科会特許制度小委員会)。その中で盛んに議論されてきたことの一つが、発明者のインセンティブ低下の防止である。「発明奨励の観点から、産業構造審議会の意見を聴いて」という文言は、これを受けたものと思料される。
もっともこの指針(ガイドライン)はまだ公表されておらず、公表時期は、「特許法等の一部を改正する法律」が公示され、施行されるまでの間になるものと推察される。
指針については、次項「3.職務発明の見直しについて」で説明を補足する。
特許料等の金額が引き下げられ、特許協力条約に基づく国際出願に係る各種の料金の金額等が見直されている。
(a)特許料
各年分の特許料が、概ね10%程度引き下げられる(特許法第107条)。
(b)商標の登録料
登録料については25%程度、更新登録料については20%程度引き下げられる(商標法第40条)。
(c)特許協力条約に基づく国際出願に係る各種の料金
日本国特許庁を受理官庁とする国際出願については、
・発明の単一性欠如の場合の追加の調査手数料(国際出願法第8条第4項)
・発明の単一性欠如の場合の追加の予備審査手数料(国際出願法第12条第3項)
・送付手数料+調査手数料及び予備審査手数料(国際出願法第18条第2項)
が引き上げられる。
また明細書及び請求の範囲が日本語で作成されているか外国語で作成されているかに応じて、金額を異ならせることも規定されている。
ここで注意すべきは、上記金額(国際出願法第8条第4項、第12条第3項、及び第18条第2項)は上限を規定しているのであって、実際の金額そのものを規定しているわけではない、ということである。実際に徴収される金額は、国際出願法(特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律)の本法ではなく、政令に委任されている(特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律施行令第2条)。
特許法条約及び商標の保護に関するシンガポール条約は、各国ごとに異なる国内出願手続の統一化及び簡素化を促進する。
前述したとおり、第189回通常国会において、これらの条約は衆参両院で承認された。このため条約締結の手続に進むことになる。
そこで「特許法等の一部を改正する法律案」では、特許法条約及び商標の保護に関するシンガポール条約を実施するための規定の整備が行なわれている。
(a)特許法
特許法条約の実施のための規定として、例えば特許法第36条の2第3項の規定が新設された。
この規定は、外国語書面等の翻訳文が所定の期間内に提出されなかった場合、特許庁長官はその旨を通知し、当該期間の経過後であっても経済産業省令で定める期間内であれば、その翻訳文を提出できる旨を定めている。
その他にも、明細書又は図面の一部欠落の場合の補完などについても規定がある(新設される特許法第38条の4)。
(b)商標法
シンガポール条約の実施のための規定として、例えば商標法第9条第3項の規定が新設された。
この規定は、出願時の特例の適用を受けるための証明書を所定の期間内に提出することができなかった場合でも、経済産業省令で定める期間内であれば、その証明書を提出することができる旨を定めている。
職務発明制度については、前述したとおり、
・特許を受ける権利の原始帰属
・従業者等が有する権利
・指針(ガイドライン)の公表
について見直しが行なわれている。それぞれの項目について簡単に述べる。
改正特許法第35条第3項は、
「従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する」
と規定している。
つまり一定の条件のもとでの使用者原始帰属を謳っているわけである。
(a)使用者原始帰属の理由
大正時代を起源とするわが国職務発明制度の歴史の中で、今回、はじめて使用者原始帰属が規定された。いかなる理由からなのだろうか?
この点、産業構造審議会でも議論百出の感があるが(産業構造審議会知的財産分科会特許制度小委員会における平成26年3月24日~12月24日の会合)、使用者原始帰属を推進する動機付けとして、概ね、共同研究と二重雇用という二つの事例について議論がなされている。
(共同研究)
共同研究の事例では、特許を受ける権利の共有を定める特許法第33条第3項の規定との関係を問題としている。
例えばA社の技術者aとB社の技術者bとが共同開発を行い、発明を完成させた事例を想定する。職務発明については、A社B社とも予約承継について社内規定を置いているものとする。この場合、特許を受ける権利は、貢献度に応じた持分割合で技術者aと技術者bとに原始帰属し、それぞれA社とB社とに予約承継されることになる。
ところが技術者aと技術者bとが結託して、それぞれの持分譲渡の同意を拒んだらどうなるだろうか?
この場合、「特許を受ける権利が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その持分を譲渡することができない」という特許法第33条第3項の規定が効いてきて、A社及びB社は特許を受ける権利の承継を受けることができなくなってしまうという問題が生ずるのである。
これに対して、特許を受ける権利を使用者原始帰属とするなら、特許を受ける権利はA社及びB社に帰属することになるのであるから、この問題は生じないものと考えられる。
(二重雇用)
次に二重雇用の事例では、第三者対抗要件を定める特許法第34条第1項の規定との関係を問題としている。
例えばC社の研究者XがD大学に出向し、C社D大学のそれぞれが研究者Xに給料を支払っている事例を想定する。職務発明については、C社D大学とも予約承継について内部規定を置いているものとする。この場合、特許を受ける権利は、貢献度に応じた持分割合でC社とD大学とに予約承継されるものと考えられる。
この際、予約承継について内部規定を置いているのであるから、C社及びD大学への特許を受ける権利の承継に研究者Xの同意は不要であり、貢献度に応じた持分割合で、特許を受ける権利がC社及びD大学に承継されるものとも考えられる。この場合には、承継の問題は生じない。
ところがその一方で、特許を受ける権利は研究者Xに原始帰属し、C社及びD大学は完全な権利を予約承継する(二重譲渡)、という考え方も成り立ち得る。
となると、「特許出願前における特許を受ける権利の承継は、その承継人が特許出願をしなければ、第三者に対抗することができない」という特許法第34条第1項の規定が効いてきて、C社とD大学とのうちいずれか先に特許出願をした方が、相手方に対して第三者対抗要件を満たしてしまうという問題が生ずる。
これに対して、特許を受ける権利を使用者原始帰属とするなら、特許を受ける権利は、貢献度に応じた持分割合でC社とD大学とに帰属することになるはずなので、権利の帰属に関する問題は発生しない。
もっとも特許を受ける権利を使用者原始帰属とした場合であっても、C社及びD大学に完全な権利が帰属するという考え方も成り立ち得る。その場合には、何らかの手当てが必要になるかもしれない。
この点については、平成26年6月18日(水)開催の産業構造審議会知的財産分科会の第7回特許制度小委員会でも、特許法第34条第1項の規定から先に出願した方が勝という意見(第7回特許制度小委員会の議事録第4頁~第5頁、山田審議室長の発言)と、C社とD大学とのどちらが優先するかという規定を新たに設ける必要があるのではないかという意見(第7回特許制度小委員会の議事録第8頁、山本敬三氏(京都大学大学院法学研究科教授)の発言)とが出ている。
(二重譲渡)
以上の二つが産業構造審議会で議論された事例であるが、これとは別に、二重譲渡の事例を考えてみた。
一例として、職務発明について予約承継の社内規定を置くE社において、その社員Yが職務発明である発明Iを完成させた事例を想定する。この場合、特許を受ける権利は社員Yに原始帰属し、E社に予約承継されることになる。
ところが現実には、社員Yが発明Iについての特許を受ける権利をF社に譲渡するということが起こり得る。二重譲渡である。
この場合、E社に先立ってF社が先に特許出願をしてしまうと、正当な権利者であるE社は、発明Iについてもはや特許を取得できなくなってしまうのではないだろうか? F社が第三者対抗要件を満たしてしまうからである(特許法第34条第1項)。
特許を受ける権利を使用者原始帰属とするなら、この問題は解消されるものと思われる。社員Yが発明Iを完成させると、その特許を受ける権利をE社が原始取得することになるので、E社は、発明IについてのF社の特許を冒認出願であるとして取り消したり無効にしたりすることができるはずだからである。
(小括)
こうして考えていくと、職務発明について使用者原始帰属にする理由が浮かび上がってくる。
先に述べた産業構造審議会(産業構造審議会知的財産分科会特許制度小委員会における平成26年3月24日~12月24日の会合)でも、経済団体や大企業側の代表を中心に、使用者帰属に積極的な意見が続出した。
(b)原始帰属の選択性
以上説明したとおり、職務発明については、その特許を受ける権利を使用者に原始帰属させる途が開かれた。
だが無条件というわけではなく、「契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたとき」という条件を満たした上で、初めて特許を受ける権利の使用者への原始帰属を可能としたのである。
これは、例えば大学などの研究機関から出た意見、つまり大学(使用者)と研究者(従業者)との間の関係では、使用者原始帰属が必ずしも望ましいわけではなく、むしろ実態にそぐわないことも多いという意見を反映させたものと考えられる。
例えば平成26年6月18日(水)に開催された産業構造審議会知的財産分科会での第7回特許制度小委員会の議事録及び配布資料(平成26年6月18日(水)開催の第7回特許制度小委員会の議事録。配布資料2「職務発明制度改正に関する意見(医学系大学産学連携ネットワーク協議会)」)を参照されたい。議事録第2頁から第3頁にかけて、東京医科歯科大学の飯田委員(東京医科歯科大学研究・産学連携推進機構教授)の代理で出席された石埜氏より、大学発明では使用者原始帰属が実態にそぐわないことも多いとする発表がなされている。
このような経緯から、特許を受ける権利の原始帰属については、「契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたとき」という条件を付し、使用者側に帰属させるのか従業者側に帰属させるのかを選択可能にしたわけである。
特許法第35条第3項の規定が改正されて第4項となり、
「従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する」
と規定された。
職務発明を予約承継等した場合に従業者等が受ける権利が、「相当の対価の支払いを受ける権利」から「相当の金銭その他の経済上の利益を受ける権利」に変更されたわけである。
上記産業構造審議会では、優れた発明が生み出されるためには、職務発明についてのインセンティブを高める必要があるという議論が繰り返しなされている。この議論については、立場の違いを越えて認識の共有が図られている。使用者側に傾いても従業者側に傾いてもインセンティブを高めることができず、両者の調和が重要であるという認識である。
その一方で、使用者側のインセンティブを低下させる要因として、職務発明についての訴訟リスクの問題が大企業を中心に提起されている。なかでも「相当の対価」の金額を算定することはたやすくなく、これまでの職務発明訴訟の中で、多くの労力と費用が費やされてきた要因になっているとの主張が叫ばれている。
このようなことを背景に、改正特許法第35条第4項は、「相当の対価」を「相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)」に転換している。職務発明に関する訴訟リスクを低減させ、使用者側と従業者側とのインセンティブの調和を図り得る規定として期待される。
ところで「その他の経済上の利益」には、どのような内容のものが含まれるのであろうか? 平成27年5月29日の衆議院経済産業委員会での参考人質疑に大企業側の代表として立った株式会社キャノンの長沢氏(株式会社キャノン取締役、知的財産法務本部長 長沢健一氏)は、「その他の経済上の利益」とはいかなるものをいうのかという質問を受け、職務発明の完成に向けた実験設備、実験器具、人員などの供与、役職などのポストの提供などを例示した。
改正特許法第35条第6項が新設され、
「経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする」
と規定された。
ここで「前項の規定により考慮すべき状況等」というのは、特許法第35条第4項が規定する「相当の利益」について定める場合に考慮すべき状況を意味する。
具体的には、
・相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況
・策定された当該基準の開示の状況
・相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況
などである(改正特許法第35条第5項)。
職務発明について使用者原始帰属を望む企業等の法人は、この指針(ガイドライン)の公示を待って職務発明規定を見直す必要がある。
指針(ガイドライン)の公示時期は、「特許法等の一部を改正する法律」の公示後、施行されるまでの間になるであろうことが予想される。
(了)
平成27年7月10日